信じたいこと
裏切りたいこと
比重の差は私の心の影の分だけ
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一言ですませてしまっていいの
いくつでごまかせばいいの
何回もがけばいいの
どれだけゆめをみればいいの
ぜんぶ、わからない、けど
けど、わたしは、
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言葉が暴れて
胸が痛い
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日々に感じていた小さな喜びとか幸せとか、簡単に言えば「嬉しい」って思う瞬間。
そういうものは誰にでもあるはずのこと。私も日々の中にそうした欠片を感じていました。
誰にでもあるはずのことだと思っていたのです。
例えその人自身が無自覚だろうと。そこには確かに嬉しい気持ちが存在しているのだろうと。
私の場合、多くは何か買い物をしたときに感じていました。
好きなものを選んで、レジに持って行って、お金を払って、品物を受け取って。
その時、自分の中にほわっとした、思わず頬が緩んでしまうような気持ちが起きます。
それは場合によってとっても大きくて、「ねぇ見て見て!」と誰かに自慢したくなったり、
それは場合によってとっても小さくて、感触だけを楽しんでいたり、
どちらにせよ、私の中にほわっとした気持ちは確かにあったのです。
けれど、最近、どうにもほわっとした気持ちが、起きません。
まるで私の意識の奥底で眠っているかのよう。以前のように「あら、おはよう」と起き上がってこないのです。
人には物欲の波があります。特に女性には、誰しもが一回は経験しているのではないでしょうか。
ある時には「ああ、欲しいな」という強い欲求が渦巻いてうずうずして落ち着かない、
ところが次の日には「………」まるで気持ちが欠けたかのように何も感じない、
私はそのせいだと思いました。
物を見て、「かわいいな」「好きだな」と思います。「欲しいな」という気持ちもわずかながら。
でも、どうにもその「欲しいな」という気持ちと実際に行動に起こす間に何か緩衝材があるのです。
まるで、私の気持ちをもう一人の私が背中から覗き込んでいるような。
肉体と心が分離してしまったかのような。心がひどく客観的で他人事に感じられるのです。
今日、私は新しくブーツを買いました。自分にしては久しぶりに高い買い物です。
ブーツはもちろん自分の好みにあっていて、自分に似合うものを選びました。
これは私のための買い物です。他に当てはまるとすればネックレスや指輪と同等な。
以前の私ならほわっとした気持ちは大と小なら大の方に間違いなく傾きを表したことでしょう。
ですが、今日の私は支払いを済ませた後に空虚感が起き上がりました。「あら、おはよう」です。
虚無感、と表すのが正しいのでしょうが、どうにもこれは空虚感と書く方が当てはまる気がします。
「あら、おはよう」私が言いたかったのはほわっとした気持ちにです。
「あら、おはよう」空虚感に言っても返事はありません。
品物を受け取って慣れた作り笑いで「ありがとう」と店員さんに返します。
わたしはずっと欲しかったブーツを買えたのよ。しかもこれが最後のひとつで!
らいねんも履けるわね。うれしいことじゃない。あなた、似合ってるわよ。
心の中で他人事の心が囁き始めます。ひそひそこそこそ。
でも、私は、ずっと空虚感に向かって「あら、おはよう」と挨拶をしていました。
ほわっとした気持ち、ではありません。
もやっとした気持ち、に近いものです。
確かに欲しかったものなのに。
確かにこれから履けると思うと嬉しいと思うのに。
むしろ、「嬉しい」と思わなきゃいけなくて「嬉しく」感じているように思えるのです。
これは、「わたし」が、ほんとうに思っていることかしら?
最近、こうした疑問が尽きません。
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恥ずかしいとか恥ずかしくないとか
それはその人の価値観であって
他人から称されるものが全てとは限らない
と、思いたいだけなのかもしれない
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